イコンタ同盟

This is love.

MacBook proとSurface pro

パソコンが欲しい。

 

どうせならば、iPhoneを使っているからMacBookがいいな。

 

と、ぼんやり考えていたのだが、

 

今までMacは使ったこともがないし、慣れ親しんだWindowsがやはり使いやすいか?

 

それにMacだとMicrosoft Officeが使えない。

というより、使うならばソフトを買ってインストールしなきゃならん。手間と出費がかさむ。

 

でもMacBook 持ち歩いてカッコつけたい。

 

いやそもそも持ち歩くことがあるのか?

 

ぐだぐたと考えていたら。

 

 

surface pro7 なんていうMicrosoftのパソコンがあるのを知った。

OSはもちろんWindowsだ。

 

見た目もかなりスタイリッシュだ。

MacBook っぽいと言えば確かにそうだが、まぁ、模倣という行為が進化を生むのだ。うむ。

 

いいなこれ。

春の新生活応援フェアもやってる。

いいなこれ。

 

 

 

 

てゆーか俺、パソコン使うことあんのかな。

 

今、可能性が生まれる

ワイヤレスイヤホンというものを買って、少しだけ、ほんの少しだけ生活が変わった。

 

テクノロジーがもらたす利便性は、人類を幸せにするのか。

多少大袈裟な言葉かも知れないが、今日はそんな大きすぎるテーマに、少しだけ触れてみようと思う。

 

結論から先に言えば、テクノロジーの発達は、人類の生活、生き方や文化、家族制度、国家まで大きく変えていくだろう。

 

ワイヤレスイヤホンはBluetooth通信技術を使い、文字通りワイヤレスで音声データを送受信することができる。

 

なんだ、そんなことか、と思うかも知れないが、俺にとってはある種、革新的な技術なのだ。

ほんの数年前まで、iPhoneにイヤホンケーブルを挿して音楽を聴くことは当たり前だったように思う。

さらに遡り、iPodで音楽をデータとして持ち運ぶことができるようになった頃は、ケーブルがあることに何の疑問も持つことはなかった。

 

ワイヤレスになると、両手どころか、身体的な制約が一気になくなる。

ケーブルのねじれを気にすることなくiPhoneを操作することができる。

 

例えばYouTubeを観るときはどうだろう。

 

動画配信サービスなので、動画を閲覧しながら同時に聴くのが本来の使い方だろうが、俺の場合は音声を聴く、という意味ではワイヤレスイヤホンを非常に重宝している。

俺が大好きな 中田敦彦YouTube大学 や ホリエモンちゃんねる を観るとき、iPhoneはテーブルに置いたまま皿洗いしながら聴いていることが多い。

20m程度であれば、よほど分厚い壁などの障害物がない限りは遅延も切断もなく問題なく聴くことができる。

 

音量調整、曲送りはもちろん、電話を受け取り通話することもできる。ただ、誰からの着信なのかは、iPhoneの画面を見なければ分からない。

 

ここまでがワイヤレスイヤホンが俺にもたらした小さな変化だ。

まだ使ったことがないという人、ぜひ使って欲しい。スーパーストレスフリーだ。

AppleAirPodsは高価すぎるので、俺はSOUNDPEATSのTrueAirを使っている。ノイズキャンセリング機能はないが、これで十分満足している。

 

テクノロジーが人類を、なんて言ってはみたが、この先の未来がどうなるかなんて誰にも分かる訳はない。

1年後だってまったく予想できない。

未来は不確定要素に満ちている。

 

ここで言う不確定要素とは、不安をあおるために使った言葉ではない。

むしろ、その逆。

 

未来は可能性に満ちている、と言い換えることだってできる。

 

今まで生きてきて、義務教育を受け、当たり前のように高校を卒業した。

大学に進学する友人もいた。

 

 

勉強していい大学に入って、一流の企業に就職すれば、未来は安泰だ。結婚して一戸建ての家を買い、家庭を築き、定年まで勤めあげれば老後の心配もしなくていい。コツコツ貯金することも大事だ。

 

そう教わってきた。

 

だが、これからはもう違う。

 

俺らは一体何を目指して生きてきたのだろう。

貯金とローンを繰り返すために仕事をしている訳ではない。

 

平均的な平凡な家庭を築いてジジイになって縁側でお茶をすすることができるのは、ごく僅かな限られた人間だけである。

 

大抵は、こんな平凡な、ノルマ達成できそうな夢すらも叶えられずに、日々何かの不安に苛まれながら生きている人が大半ではないか。

 

「やりたいことがない」という人が多い。

俺もその一人だ。

だが、本当にそうか?

 

やりたいことをやらない言い訳を作るのは簡単だ。

お金がない、時間がない、やり方が分からない、理解してくれる人がいない、協力者がいない。

 

やり方が分からないなら、スマホで調べればいい。時間がないと嘆くのなら、時間を有効活用できるように考え、実行すればいい。お金がなければ、銀行から借りることもできるし、クラウドファンディングだってある。

理解が得られない、協力者がいない?

仲間なんていなくてもひとりで動き出せば何かが変わる。歩き出せば、ハローと挨拶してくれる人と出会える可能性だってある。

 

こんなことでお金なんか稼げない。

現状ではそうかも知れない。

だが、それを変えるのはアナタだ。

カネを生み出す方法だけでなく、カネを回すことを考えるのだ。

 

考察だけではダメだ。

考えるだけなら誰でもできる。

行動する力が必要だ。

 

失敗を恐れて挑戦しないなんて、もったいない。必ず、失敗はあるだろう。プラン通りに進む人生なんてあり得ない。

大事なのは、その後だ。

いかにプランを修正するか。それに尽きる。

挑戦なくして、成功はやってこない。

 

何十年も先の老後のことなんて考えなくていい。

過去のことも忘れたらいい。

今日の常識は10年後、いや5年後には非常識になっている。

 

手のひらの上に知識の宝庫がある。

これを使わない手はない。

誰でも平等に、すぐに知識を得ることができる。

これは最近知ったことだが、パソコンがなくてもスマホMicrosoft Officeを使うことができる。PC上のデータもOneDriveと同期すれば外出先でも編集しコンビニで印刷もできる。

 

スマホが一台あれば何でもできる。

一瞬で世界中の人々とつながることができる。

 

 

目の前に壁なんてない。

しがらみなんて存在しない。何の障害もない。

 

37歳になろうとしているこんなオッサンでも、まだまだ自分には可能性があると信じている。

 

アナタだって、自分の可能性を信じてみてもいいはずだ。

 

 

これを読んでくれている人達に、ほんの少しでも勇気の火を灯すことができたら、幸いである。

 

 

ジムニー

JB64ジムニー

気づけば、納車から1年と4ヶ月が経とうとしている。

 

今日は、ジムニーの「レビュー」だけではなく、ジムニーに寄せる俺の思いを語らせてほしい。

 

さぁ、まず何から話そうか。

 

クルマのスペックについてはネットでいくらでも調べられるので省略する。

 

納車は2018年11月。

現在2020年3月。

 

平成から令和になり、2020年開催予定だった東京オリンピックは、世界的流行をみせる新型コロナウィルスにより、2021年に延期されることになった。

 

誰も予想しなかった未来を、今、私たち人類は体験している。じわりじわりと近づいてくる恐怖は、もうテレビの中の海外のフィクションではない。

気づけばもうすぐそこまできている。

 

しかし、未来がどうなるか分からないからといって、悪いことばかり起こる訳じゃない。

この現状を打破する治療薬や予防薬が、きっと、開発されるはずだ。

そうだと信じたい。

 

この情報社会の中に生きる私達は、一体何を基準に真偽を見極めればいいのか分からなくなるときがある。

ネットやSNSの悪い点は、たびたび簡単にテレビで取り上げられ、何の責任も持たないコメンテーターに、やはり責任感のないコメントをされ、最終的には安易な着地点に落ち着く。

 

テレビとは一体何だろうか。放送とは。映像とは。エンターテイメントとは。

 

そろそろみんな気づき始めてるんじゃないだろうか。

 

どこかの波乱万丈らしき大家族を取材し、放送したところで

クイズ番組で東大生が超難問をクリアしたところで

タレントが注文した料理の値段がいくらなのか分かったところで

 

一体、俺の人生に何の影響があるというのか。そんなものは、俺にとって価値はあるのか。

 

YouTubeがある。NetflixAmazon prime videoもある。

欲しい情報はインターネットで得ることができる。

もうすぐ、テレビの時代は終わる。

 

では、自動車はどうだ?

 

アメリカではTesla Mortorsが電気自動車を開発、販売している。

日産もLEAFという電気自動車がある。

テスラを見かけたことはないが、リーフなら、割とよく見かける。

電気自動車には、近い将来、実用的な完全自動運転技術が開発され、搭載されるだろう。

試験的に運用し、街中で見かける日もそう遠くないかも知れない。

 

日本では、NTTドコモが3月25日から5Gサービスを主要都市で開始した。

これによりAI、Iot、ブロックチェーン等の技術は超加速をしながら、爆発的にひろがり、つながるだろう。

 

つまり、私達の生活は劇的に変化する。

 

車を「買う」という時代も終わると言われている。

動画配信サービスのように、例えば、月額1万円でクルマに乗り放題。

顔認証システム。キャッシュレス。

これらに併せ、電気自動車、自動運転技術。

 

とんでもない時代がやってくる。

 

 

これらの技術は、きっと人類を幸せにしてくれるだろう。

完全自動運転技術は、渋滞を、交通事故を激減させ、さらに高速移動を可能とする車両も開発されるだろう。

 

しかし、どんなに便利になっても、忘れたくないものは必ずある。

 

不便の中にある心地よさ。

 

それは、クルマの運転だ。

 

前置きが長くなりすぎたが、ジムニーのエンジンは縦置きだ。

 

俺はこのクルマに20年は乗るつもりだが、20年後、クルマを取り巻く状況はどうなっているだろうか。

完全に電気自動車しか存在しない世界になっているだろうか。レシプロエンジンを搭載したクルマは存在しているだろうか。

当然2020年よりも排出ガス基準は厳しくなっているだろう。

と、なれば。

俺が今乗っているジムニーは、超高燃費のオンボロに成り下がっているはずだ。

まぁ、そんな未来も悪くはない。

 

おそらくJB64は、純粋なレシプロエンジンを搭載した最後のジムニーになるだろう。

数年のうちにマイナーチェンジが施され、ジムニーハイブリッドなんてのも登場するかも知れない。

 

 

以前乗っていたミラジーノから、クルマの買い替えを検討し始めた頃、最初からジムニーは候補に挙がっていた。

新型ジムニーが開発中との噂もあり、毎日毎日ネットで情報を探っていた。

そして、

工場内のリーク画像

関係者お披露目の画像

敷地内に並ぶジムニーの画像

予約開始の情報

 

正式に新型発売のアナウンス。

 

マジかよと思った。

待ちに待った新型が、ついに、、、!

 

ある日、何気なくテレビを見ていたら

 

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ジムニーがゆっくり近づいてくる

 

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Nobody But Jimny

 

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スローモーション

 

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ゆっくりと丘をくだる

 

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水しぶきを立て、荒々しく走る

 

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Jimny

 

なんだこのCM

めちゃくちゃカッコいい。今まで見たことある車のCM史上、ぶっちぎりで一番かっこいいCMだ。

音楽も最高。

ジムニー CM」で検索してね。

 

映像制作やCMについては詳しくないから語れないが、このジムニーのCMの何がいいかって

 

まずタレントを起用していない。

これにより、そのタレントや俳優が持つ印象を微塵もクルマに塗っていない。

 

次に、誰も喋っていない。

車の機能や性能を一言も説明していない。

テロップも、社名と車名が最後に出てくるのみ。

 

そして、実際にオフロードを走らせている。

クルマを汚している。

ピカピカの状態が一番なんだろうけど、違う。

この車は違う。そういう車じゃない、こういう車なんですよ、と強烈に主張しているような気がする。

 

俺は初めてこのCMを見たとき、感動した。

胸が熱くなった。

 

世界中にいる歴代ジムニーユーザーの期待に応えるため、並々ならぬ努力と情熱を注ぎ込んで挑んだ開発陣。

その魅力を伝える映像制作陣。

(すべて想像です)

 

 

本当に最高だ。

最高のクルマだ。

 

その想いは、納車から1年以上経過した今でもまったく変わらない。

毎日、乗るたび、運転するたびに感じる。最高だ。

燃費が悪かろうと、2ドアが不便だろうと、最高なクルマなのは間違いない。

こんな自動車は、近い将来、淘汰されてしまうだろうか。

それともいつか、電気自動車として生まれ変わったジムニーを、俺は見ることができるだろうか。

 

 

 

 

 

Nobody But Jimny

 

 

俺は、日本が世界に誇る小さな自動車に乗っている。

 

 

金持ちになる②

金持ちになる。

そう決めたのはいつだったか、なぜだったかもう思い出せない。

 

今日はお金の話。

 

ただし、お金に関する知識がまだまだ乏しすぎるので、あまりでしゃばらないように気をつけながら、自信なさげに気弱にいく。

 

誰もが金持ちになりたいと思っている。

 

「金なんかいらない」とか、

「金欲にまみれた人間はまっぴらだ」とか

「貧乏でも幸せだ」

「収入が低くても、今の仕事にやりがいを感じている」

と皆が口を揃えて言っている。

 

わかる。俺もそう思っていた。

だが、俺は金持ちになる道を選ぶことにした。

 

俺はただの平社員だ。

職種は介護。

職場は何度か変わったが、20歳からこの仕事を続けている。

20代の頃はまだ良かった。安い給料でも。

独身だったし、将来の不安なんてもんはなかった。遊びたいだけ遊んだし金は使いたいだけ使った。貯金なんてする理由もなかった。

 

だが、今年で37歳になる俺は、やっと自分の将来について真剣に考えるようになった。

介護の仕事は、一部を除きそのほとんどは身体を酷使する。

腰痛に悩む人が多いし、精神的ストレスはかなり大きい。サービス残業も多い。

たしかに、好きだからこそ続けてこれた仕事だろうが、体力面も精神面も限界を感じることが多々ある。

 

話が少し逸れてしまった。

そう。この仕事を続けていくのはもう難しい。

しかし、他に何も資格なんて持っていない。

 

 

 

結婚した。家を買った。子どもが生まれた。

 

嬉しくて嬉しくて、こんなに幸せなことが今まであっただろうか。俺はこの幸せに出会うために生まれてきたんだと心からそう思った。

 

これから先ワクワクすることがたくさんあるはずなのに、同時に未知数の不安が側についてくる。

 

なぜ、こんなにお金のことで悩まなければいけないんだろう。

お金に関する悩みのない人間は、ほとんどいないと思う。

会社の上司だってそうだ。

俺より給料を多く貰っている人だって、俺の倍以上貰ってる人だって、たぶんみんな同じように悩んでいる。

 

俺は幸せになりたい。家族を幸せにしたい。

多くの時間を大切な人と過ごしたい。残業なんてしてる場合じゃない。

 

今現在、お金に関する勉強をしている。

とりあえず本を読みまくっている。

まだまだ時間はかかるだろうが、幸せになるため、金持ちになるためならば、その時間さえも自己投資と言える。


それに、煙草もやめた。
健康面、周囲の人への影響ももちろんだが、

喫煙に要する時間。
吸えないときのイライラ。
出費。
これらは完全に無駄だ。

そう思ったら簡単にやめることができた。
今は煙草の代わりに食後はコーヒーを飲み、そのあとキシリトールガムを噛んで本を読んでいる。


「金持ちになるなんて無理だ」

「金を増やすには金が必要だろう」

「投資は危険だ」

 

よく耳にする言葉だ。

 

だが、人間は自分が考えた通りの人間になる。自分が言った言葉通りの人間になる。

 

「投資は危険だ」という人は、お金や投資に関する用語や知識を理解していないから危険だと感じるのだ。

「投資はリスクが大きい」という言葉は、

「知識がない者が投資に手を出すのはリスクが大きい」と言い換えることができる。

 

本当にまだまだ勉強不足なので、このへんでやめておこう。

 

人間は、自分が考えた通りの人間になる。
言った言葉通りの人間になる。


ならば、

俺は金持ちになる。

お前らの記事が何故そんなにつまらんのか説明してやろう。

タイトルそのままの内容だ。

身に覚えがない人はスルーしてくれ。

そうでない人は、ぜひ参考にしろ。

そしてわきまえろ。

 

俺は今まで色んなSNSに手を出しては途中で嫌気がさしてやめてきた。

先日Facebookもやめた。残るはInstagramのみ。

あんなに楽しげに嬉しげに投稿していたのに、なぜやめるのか。

 

ひとつは、飽きたから。これに尽きる。

投稿すべき内容なんて、最初からないのだ。

誰も俺の投稿を楽しみにしていない。そんなのは当たり前だ。

生存確認のために続ける、なんて人もいるみたいだが、直接連絡取ったほうが回りくどくない。おめーら素直じゃねーな。

 

もうひとつの理由。面白くないから。

飽きたから、という理由とほぼ同じだが、

「面白くない」という言葉には様々な意味が含まれている。

 

いいね!の数が伸びない。

他人の投稿がつまらん。

老害がクソうぜー。

 

まぁこんなところだ。

 

いいね!の数については、最初から気にしていない。たくさんついたら嬉しいことは確かだが、いいね!いっぱいあっても、

例えば5万いいね!もらっても、1円も稼げないことを考えると5万いいね!もらえるような投稿をするにはどうすればいいか考える時間や費用がかなりもったいない。

ブログにしてもそうだ。閲覧者数が伸びるのは素直に嬉しい。

だが、数を伸ばすための記事を書くための時間や労力がもったいない。

 

時は金なり。

金で買える時間もある。

金では買えない時間だってある。

 

本題に入ろう。

俺が、このブログ面白いなー!

と思える記事を書く人はかなり少ない。

 

つまり、世の中に溢れる90%のブログはゴミだ。

あなたという人間がつまらん、人生がつまらんと否定している訳ではない。一応フォローしといてやる。

ブログがつまらん。記事がつまらん。文章がつまらん。ゴミだ。

 

なぜつまらんのか??

これは、老害SNSと同じ理由からだ。

 

その記事、ただの活動報告になってはいないだろうか?

 

もう一度言う。

 

 

そのブログは、活動報告ですか??

 

 

 

かなり丁寧に言ってやったつもりだ。

 

分かるか?

 

今の言葉でピンと来たらもう解決だ。

以下は読む必要はない。

 

 

○○と**を比較レビューしてみた系も同じだ。

比較した、という活動報告にすぎない。

 

それでもピンとこないアナタ。

しょーがないな。説明してやる。

 

アナタは映画を観るだろうか。小説を読むだろうか。

どちらも観ない読まない、そんな人もいるだろうか。

まぁいい。

 

映画を見て何に面白みを感じるのか。

小説を読んで何を面白いと感じるか。

もちろん人によって違うのは分かっている。

 

俺の場合はこうだ。

映画のストーリーは、ハッキリ言ってどれも同じだ。どの映画のどんな内容であれ、同じと言っていい。

起承転結。

ざっくり言うとこうだ。ざっくりしすぎだ。

 

例えば、、、、、

毎年春頃になると、10代女子がキュンキュンして感動するための映画が必ず作られますよね?

 

大体の内容は

 

男女の出会いがあって、付き合って将来を約束したところで病気や事故などの不幸が降りかかって、どっちか死んでしまい、その後、お手紙発見して観客号泣失禁するような映画。

 

ま、どーせこんなもんでしょ。

誰かが死ななきゃ感動できないんだ。

 

例えが良いか悪いか分からんな。失敗かも。

 

そう、毎回これを記事に書かれてもなー、くだらんのは当たり前だ。

つまりだね、

 

 

今日はどこどこに行きました。

誰々と会ってこんなことしました。

みなさんとても温かくて、楽しかったです。

次は、何々しましょうね。

 

 

はい。

こんな記事になっとらんだろうか。

特に中年老害SNS若作りどもはこのパターンが多い。

今日も友達に囲まれてワイワイ楽しくやってます。みたいな。

 

今日何をした、何を食べた、どこに行った。

他人がオマエの昼メシに興味がある訳がない。

 

 

何を思ったか、どう考えたか。

どんな感情が湧いたか。

それが、圧倒的に欠けている。

 

圧倒的に欠けまくっている。

 

A地点を出発してB地点まで行きましたー。

楽しかったです。

 

ではない。

どのような思いやキッカケがあってA地点からB地点を目指したのか。

それが劇的なものでなくても、成り行きでも良いだろう。日常がドラマだという人もいるが、そもそも本当にそうだとするならば、劇的なことなんて起こりにくいし目立たない。

 

 

感情を言葉として書かないことがクールだと思っているのか知らんが、そもそも自分の感情を言葉にする能力に乏しいんじゃなかろうか。

インプットだアウトプットだの効率だのなんちゃらハックだの言ってる奴らはコピペかと思うほど、同じ内容同じ顔同じ感情同じ笑顔だ。

 

もちろん感情だけ、感覚だけで書かれた文章というのも、よろしくない。

悪い意味で、詩的になりすぎるし、時としてそれが哲学的に見えたとしても結局内容のない、夢の中でオナニーしたようなゴミクズ記事になることは明白だ。

 

 

俺が他人よりも優れているのは、頭の中の手が届きにくそうな、むず痒いところにある感情や感覚を引っ張り出して、言葉として吐き出せるところにある。

 

分かったか、これがアウトプットだ。

おめーらとはレベルが違う。

 

 

というわけで、もうひとつ例を。

 

俺は開高健が好きだ。

特に、『輝ける闇』と『夏の闇』が好きだ。

読め。

 

どちらもストーリーでいうと、とてもつまらん。クソほどつまらん。

『輝ける闇』は

1970年代、新聞記者として?アメリカ軍とともにベトナムに同行した開高健。ベトコンの激しい攻撃に晒されながら、頭の上を銃弾が横切るジャングルで奇跡的に生き残り、日本へ戻った。

というストーリー。

つまらんだろ。

 

『夏の闇』はもっとひどいぞ。

ドイツで、昔の恋人と再会した男。

しばらくは女と共に過ごしたが、やはり自分の居場所はここではないと感じた男は、女に別れをつげ、再び旅に出る。おわり。

は?なんじゃそりゃ。

 

ストーリーが面白いとかいう小説はいくらでもある。けど、文章が面白いという小説はそれほど多くはない。

もう、どんな大どんでん返しにも耐性ができてしまった現代人が一体何に魅力を感じるかといえば、

やはり言葉、文章、文体だ。描写だ。

 

 

 

 

あぁ、これ写真のブログだったな、忘れてたわ。