イコンタ同盟

This is love.

金持ちになる。

よう、久しぶりだな。

元気か?

俺は元気だ。

 

 

タイトルは、まったく本文と関係のない、ただの願望だ。

 

 

話したいことがたくさんある。

いや、聞いてほしいこと、読んで欲しいことがある。

ひとつの記事にまとめるには長くなりすぎる。

 

・お金について

・子どもについて

・写真について

 

それぞれ関連がないかも知れないが、まぁ気にするな。

 

まず最初に、一応これは写真・カメラのブログだ。

という訳で、写真について。

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どうだ?写真は撮っているか?

新しいカメラは買ったか?

すっかり贅沢品になってしまったフィルムを消費しまくっているか?

先日、フジのスペリアプレミアム400の3本組をドラッグストアで買ったら、2800円だった。高い。

「趣味だから、金かかるのもしょうがないよなぁ」なんていつまで強がりを言ってられるだろうか。

フィルム写真一枚あたり○○円。

そんな計算を頭の隅っこで無意識にしてしまっている自分を意識せずにはいられない時代に突入した。

 

そうだ。時代は変わった。

意識しろ。都合の悪いことから目を背けてはいけない。いいことも悪いことも知らなければ、この時代は生き抜いていけない。

 

 

しかしだね。

フィルム写真が好きだろ?

俺も好きだよ。

もう粒子感とか味とか、そういうレベルの話じゃないんだ。

 

使命感だ。

 

俺が撮らなきゃ、お前が撮らなきゃ誰が撮るんだ。

 

今、俺の目に見えているのは

俺の奥さん、子ども、猫、くだらないテレビ

散らかってもいないが整理されてもいない、いつもの部屋の安心感。床に転がる猫のオモチャ。

 

誰が撮るんだ。

俺しかいない。

 

今あなたに見えているものは、あなたにしか撮れないはずだ。

どんな景色だ?

狭い部屋か?美しい花畑か?雨上がりのアスファルトか?愛する人の寝顔か?

 

フィルムだろうとデジタルだろうと、そんなことはどうでもいい。

シャッターを切った瞬間、己の心の中に焼き付けられている。

何度も思い出せる。いつでも思い出せる。

 

俺は、他人の心は読めない。

だから、せめてあなたが見た景色を写真にして俺にも見せて欲しい。

俺が見た景色で良ければ、お礼に差し出すことができる。

 

 

 

俺のことを、お前は一体何様なんだよ、と誰かがどこかで文句を言っているかも知れない。

 

 

 

だが

 

 

自分でも不思議だ。

俺は一体何様だよ、何の根拠があって、と思う。

なんでそんなに偉そうなんだよ、なにか成し遂げたのか?

 

いいや、なにひとつ成し遂げてなんかいない。

 

どの写真ブログもカメラブログもライカブログも、クソほどつまらん写真と記事ばかりだ。

 

プロとやらが撮った写真が必ずしも自分にとって良い写真ではない。

写真の良し悪しは、超主観的だ。

なんか好き。なんか嫌い。それでいい。

それが正解。理由なんぞなくていい。

自分が自分の写真を好きだということ以外、評価なんて必要ない。

プロとやらが、どのメーカーのどのレンズを使おうが、どんな構図だろうが、どんな表現方法だろうが、そんな要素で写真の良し悪しを語るのは、レベルが低い。

 

所詮、プロレベル止まりだ。

A.Iにでも撮らせておけ。

 

俺は超私写真家だ。

プロごときが俺の真似はできんし、追いつけんことは明白である。

 

言っただろう?

俺は「写真への旅」後継者だ。

どんな奴のどんな言葉も写真も俺には響かん。

 

 

インスタも、もうやめようかと思っている。

SNS疲れ?ちがうな。

誰のどんな写真を見てもいいなと思えないからだ。

他人の写真を見ていいなと思ったことは、ほとんどない。本当にない。

 

前にも書いたが、自分の写真が一番好きだ。

 

他人の写真を見て、いいな、と思えることも素晴らしいことだけど

 

自分の写真を好きになることの方が大事だ。

 

写真というのは、少なからず、自分の一部である。心の一部だ。瞬間の記録であり、眼の記憶だ。

 

例えばそれを誰かに批判され自分で思っているよりも、低い評価をされたとしよう。

なぜ、腹が立つのか。なぜ、悲しくなるのか。

 

そりゃそうだ、自分の一部を否定されたら、誰だって嫌な気分になる。

自分の存在を否定されたかのような気持ちになる。

写真をやっていて、SNSに投稿したことのある者ならば、誰だって感じたことがあるはずだ。

俺もある。

コメント欄で上から目線のアドバイスされたり、説教されたり。

本気で腹が立つ。

俺は気の弱い人間だが、SNS上ならば喧嘩っ早いクソ野郎だ。

俺に言葉で勝てる人間はほとんどいない。

なぜならば、お前らの100倍は本を読んでいるし言葉を知っているからだ。

かかってこい。

まーいーや。

 

他人に説教する奴の言葉なんかに耳を貸す必要などない。時間のムダである。

そんなことで心を削ってどうする。

 

そもそも他人の写真にケチつける奴の写真なんか、どうってことないのだ。ゴミだね。

あ?俺のことか?俺は別だ。

 

俺は近いうちにSNSをすべてやめる。

理由は色々あるが。

他人の情報なんて、まったく俺の人生においてプラスにならんからだ。

すでにFacebookもやめた。

 

俺の天才的な写真をファンに見せる機会が減ってしまうが、まぁ仕方ない。

 

 

 

ニコンFも手離した。

バルナックもM型ライカも手離した。

 

手元にあるのは、リサイクルショップで買った800円のPENTAXコンパクト機とイコンタのみだ。あと、型落ちのコンデジ

誰も羨ましがらないカメラだが、こんなモノでも写真は撮れる。

カメラ・写真は、ある意味で、機材と技術をどれだけ適切に使いこなせるかにかかっていると言ってもいい。

 

うむ、なるほど。

カメラの使い方もマスターした。

マニュアルモードで露出も適正。

構図も完璧。ボケもいやらしくない程度に。

 

それがどうした。

 

ところで、その写真、本当に撮りたかったのか。

 

本当に撮りたいと思って撮ったのか?

5年後に誰かと一緒に見たいと思ったのか?

 

前にも書いた。

自分の写真にすら興味のない奴ばかりだ。

機材やテクの話ばかり。

そんな奴はカタログ見て安心して寝てろ。

 

繰り返す。

自分の写真をもっと好きになればいい。

 

俺の写真は10年後の妻へのラブレターだ。

20年後の息子への手紙だ。

 

写真は己の心の一部であるとすれば、それは、誰にも侵すことのできない聖域だ。

 

どんな言葉を投げられようとも

誰にも、俺の精神までは奪えやしないのだ。