カメラ
お題スロットにて。
カメラは、自分にとって「表現の道具」ではない。
つまり私は、表現者ではない。
「撮るための道具」
フィルムカメラを買って今日まで、何枚の写真を撮って、何本のフィルムを消費したのか分からない。
おそらく、たいした数ではない。
この2台とスーパーイコンタ530/16
他にも色々持っている。
最近よく使うのは富士フイルムのコンパクトカメラ。
しかし、先日、一本撮り終わって、新しいフィルムを装填したところで、動かなくなった。
ややパニックになり、裏蓋を開けたら、すべて感光。
こういうタイプのカメラって、最初にパトローネから全部巻き上げてしまうみたい。それから減算式で巻き戻しながらシャッターを押すことになる。たぶん。
電池切れだった。
フィルム一本をムダにし、腹立たしかった。
二度とこんなカメラ使うか!!
電池がなかったらただのガラクタだ!
もう機械式カメラしか使わん!
本気でそう思ったが、このお手軽さは、やはり捨て切れないし素敵。
こんなお気楽カメラにモノクロフィルムを詰めてオートでバチバチ撮るのも楽しい。
これから先もカメラやレンズは買い続けていくだろう。
ニッコールオートUD20mmは手に入れたい。
アラーキーが「センチメンタルな旅」で、Fにつけて使っていた。
20mmってどんな広さだろう。
ライカに関しては、M型ボディはひとつほしい。
広角レンズを使いたいので、M2やM4-Pが良い気がするけど、よく分からない。
程度と値段のバランスが良いものに巡り会えば、M3でも構わない。
M5もM6も良い。
私は薄給。カメラ一台、レンズ一本選ぶのも命懸け。
カネのかかる趣味だが、カメラやフィルムや写真に消費するゼニは、まったく惜しくはない。誇張ではない。
まったく惜しくない。
ファインダー
今週のお題「あの人へラブレター」
私は既婚者でもあるし、普通ならば、妻に対しての想いや思い出を書くのだろうが、やめておこう。
恥ずかしいとかではない。
いくらネット上で愛を叫ぼうが、本人に伝わらなければ意味はないし、意味不明だ。
中学3年のときから飼っていた猫は、去年死んだ。19才だった。
たくさん写真を撮っておけばよかった。もっと可愛がってやればよかった。あんなにひどく叱らなければ。
後悔の念ばかりが先立つ。
可愛い奴だった。
中3の夏休みが始まって間もない頃、近所にあった小さな商店の中で預けられていた。
グリーンの瞳。大きな耳。猫缶のパッケージに使われていそうな、ザ・ネコ といった顔。
手のひらに乗せられるくらい小さかった。
アパート暮らしだったのでペット禁止だった。
母に、双子の兄と共に懇願して、自宅へ連れて帰った。
私たち一家は引越しを何回もしている。
猫もずっと一緒だった。
福岡県から京都へ引越したときも、新幹線の轟音と振動の中、ニャァニャァ鳴いていた。
「今朝、のんたんが亡くなりました。」
メールを見て、すぐに自宅へ向かった。
温かくて柔らかだった細い毛は、冷たく湿っていた。
涙が止まらなかった。
悲しみの中で切るシャッターは、渇いた音がする。
ピントや露出が合っていたかどうか分からない。
ファインダー越しに見る猫は、本当にオマエなのか。
自分でも馬鹿げた行為だと思う。
アラーキーの真似をしてカッコつけたかっただけかも知れない。
生きているときに、元気なときに撮るべきだ。
のんたん ありがとう。
また会おう。
人間も動物も植物も空も海も山も、みんな死ぬ。
ファインダー越しの世界は、私に時折「死」を連想させる。
イコンタ賛歌
「イコンタ同盟」なのにイコンタで撮った写真、全然ないじゃん
という、自分への密かなツッコミがずっとあった。
イコンタを、カメラ自体を撮ったところで、正直どうしようもない。
自家現像やプリントを始めてみたけど、135mmフィルムしかやっていなかった。
実はブローニー用のリールを持ってなかったのね。
今回、やっと現像できた。
引き伸ばし機S69の6×6用ネガキャリアは、未だに手に入れていない。
どこかに落ちてないかな。
イコンタで撮りためていたフィルム達。
この写真は2年前の11月、高知県。
装填の失敗だか何かで、なぜか4枚しか写っていない。
あの日、友人の結婚式を撮った。イコンタではフィルムを2本。
教会でのキスシーンもイコンタで撮った。もう1本の未現像のフィルムの中に眠っている。
2年振りに蘇るあのシーン。
その年の夏に、夫婦で京都に遊びに来てくれたとき。
結婚式の前日にみんなで食事をしたとき。そして結婚式当日。
ほとんどのシーンをニコンFで、モノクロで撮った。
DPE店に同時プリントしてもらい、アルバムを作って送ったら、とても、とても喜んでくれた。
「嬉しくて涙が出ました」と、可愛らしい丸文字の手紙が、全身で気持ちを表している。
そのときの喜びが、私を、今でも写真に向かわせている。
ブローニーフィルムを現像、プリントできたら、また高知の友人に贈りたい。
ネガを現像して吊るしただけだが、瞬間的な印象では、やはり135mmとは、なんというか説得力が全然違う。単にサイズが大きいからそう感じるだけかも知れない。
ライカで撮ることが多いのが現状だが
やはり、イコンタだ。
特に、スーパーシックスに限る。
荒木経惟
なんだか、告発ブーム到来ですね。
ネット上の意見は様々。
こんな記事は書くべきではないのかも知れない。
たぶん、たくさんの人がモヤモヤしてる。
社会は、世界は、どちらかを白か黒にしたがる。
勇気を讃える?
なんだよそれ。
アラーキーは言っていた。
「写真の、撮る、撮られる関係ってのは、共犯関係とも言える」
報酬等の話とは別問題だろ という声が聞こえてきそうだ。
はたして、そうかな。
好きだった彼の写真集を以前と同じように見ることができない?
いらない?本当に?処分したい?
そんな人は、私に無償で譲ってください。金払えとか言うなら他を当たっていただいて結構。貰い手が見つからない?しょうがねーなぁ。
岡本太郎ならなんて言うかな。
「芸術で爆発だ」って言うかな。