イコンタ同盟

This is love.

龍の背中と暗室プリント

初めて自宅暗室でのプリントをやってみた。

 

意外と簡単、でも難しい。

というのが正直な感想。

 

RCペーパーを使った。

教本をじっくり読んで臨んだ。

露光時間もそうだが、現像液などの薬品の温度管理が大変。恒温機買おうかな。

 

ランプが均等に当たるよう、ネジで調整したつもりだったが、現像の結果は、思ったようにはいかなかった。

うーん、それが一番の課題。

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思い描いた通りのプリントが出来るようになるまで、どれくらいかかるだろうか。

 

 

現像したネガに傷や水滴跡もついていた。

悔しい。

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今日、天橋立までドライブに行ってきた。高速で1時間くらい。

我が愛車は、ブッ壊れるんじゃないかと思うほどエンジンが悲鳴を上げていた。

 

着いてから腹ごしらえをして高台に登った。

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定番の「股覗き」をやった後には、レンタルサイクルで「龍」の背中の松原を散歩してきた。

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1時間もあれば往復できる。

 

カメラを持った人が多かった。

 

スーパーシックスとⅢaを持って行ったが、なんとなく、Fと28mmにすれば良かったなぁと、着いてから思った。

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イコンタで撮るのはやっぱり楽しい。

天気も良かったし、海がキラキラ輝いていて絶好の撮影日和だった。

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また、行きたい。

暗室からの手紙

 

インスタグラムや、はてなブログのおかげでフィルムカメラ愛好家との交流が始まった。

 

インターネットって素晴らしい。

 

こんなにフィルムカメラや写真が好きな人がたくさんいる。

一部では長期的なブームなのかも知れない。

いいさ。

冷やかしのつもりが本気になってのめり込むなんてよくある話だ。

 

たまに見かけるハッシュタグ

 

film is not dead.

 

フィルム文化は終わっちゃいないぜ。フィルム写真の素晴らしさをもう一度広めて、盛り上げようぜ!

的な。

 

さぁ、どうかな。

一度便利さを知ってしまったサルは、もう後ろなど見ようとしない。

 

今さらガラケーには戻れんだろ?

 

フィルムはデジタルに完全に駆逐された。

 

死にかけ、瀕死だ。

 

film is dead.

それでもいいさ。

 

ただし、それはデジタルに完全に移行してしまった人にとっては だ。

 

Film is not dead.

なーに言ってやがるんだ。当たり前だそんなこと。

今さらわざわざ文字にしてまで言うことじゃないだろ?分かりきったことだ。

我々が使っているのは、SDカードみたいな安っぽい薄っぺらい記録媒体なんかじゃない。ヤツらには理解できない、贅沢な遊びを本気でやってるのさ。

 

フィルムの箱を開けるとき、フィルムケースを開けるとき。パトローネのロゴ。フィルムの匂い。装填するときの感触。

巻き上げの音。

デジタルには、到底マネできない。

いつの時代も、どこの国でも、マイノリティは屈強だ。

アンダーグラウンドマイノリティのみぞ知る喜びがあるってのも確かである。

 

昼間はファインダーを覗き、狙い澄まして静かに、時に荒々しくシャッターを切る。

夜になれば、撮影済みのフィルムをリールに巻き、薬品のニオイの中で現像する。タンクを攪拌する。手を汚す。

また別の夜、赤い静かな暗闇の中、光と陰を、印画紙に焼き付ける。

たまには夜の街に出てカメラをポケットに忍ばせ、暗躍することもあるだろう。

この上ない緊張感と悦びと味わえるのは、私たちだけである。

 

フィルム写真は、暗室の手記である。

それは、誰かに向けた手紙かも知れない。誰にも見せることのない独白かも知れない。

 

一部では盛り上がりを見せるフィルムカメラ。ところが、一方では、実際に知り合いでフィルムカメラを使う人を私は知らない。知り合いでなくても、使っている人を見たことがない。

 

 

 

はてな

 

ネットの中の世界は、画面の中の世界は、やはり虚像か、幻か…

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時々思う。

 

もしかしたら今、見ている、感じている世界は、本当は存在すらしないのか?

 

果たして、「この感覚」を感じているのは世界に私一人だけなのか。

超リアルな仮想現実を35年間、宇宙でたった一人で体験しているのではないか。

 

マトリックス的な。いや違うなー。

 

サルトルの『嘔吐』、アントワーヌ・ロカンタンみたいな感覚。

この感覚がずーっと続くと、乖離性なんとかっていう精神疾患らしい。まいっか。

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話が逸れすぎた。

なんだっけ。

 

 

フィルムカメラを使っている人を見たことがない   でした。

 

 

なーんて思っていた今日、ついに発見した!

 

なぜフィルムカメラだと分かるのか?

 

おそらく同年代の女性。車を運転しているときに見かけた。

 

首から下げていたのはローライフレックス…!

 

いや、ローライなのかどうかさえ分かるわけないが、とにかく二眼レフカメラだった。

デジタル二眼レフカメラなんてもんがあるのかは知らん。

 

車を脇道に停めて、全力でその人のもとへ駆け寄って、

「あのー、すいません突然。ぼ、僕もフィルムカメラ好きなんです!あの、イコンタって分かりますか?中判のカメラ使ってます。あとライカも使ってます、バルナックです!最近、自家現像も始めました!プリントも今、もう始めようかというところなんです〜。モノクロで撮るのが好きです。あの、突然でアレなんですが、お友達になってもらえませんか?あ、お名前は…?僕はロイというものです!」

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なんて突然言おうものならば、変人扱いされて大声で叫ばれるか、もしくは、いきなり親友になれるかもしれない。

 

デジカメぶら下げてる人には、まったく興味も湧かないんだけどなぁ。

 

 

今度会ったら、思い切って声をかけてみようかしら。

 

拝啓ブレッソン様

f:id:ikonta_doumei:20180309214741j:image何気ない毎日の中の、何気ない瞬間を、何気なく撮っている。

 

 

ある日、気づいたことがある。

 

 

我々人間は、いつか必ず人生の最期を迎える。

 

宇宙の歴史からすると、ほんの一瞬。

いや、ほんの1/1000瞬くらいだろうか。

 

 

隣で寝息をたてている妻も、いつか。

 

 

そんなの、当たり前だ。

当たり前すぎることなのに、それに気づいて、とても悲しくなった。一緒に過ごす毎日が、当たり前ではないのだと気づいた。

 

何気なくない毎日。

 

一瞬一瞬を真剣に生きるなんて到底ムリである。

だが、ふとした瞬間を、真剣に撮ることならばできるかも知れない。

1/500か 1/1000か 1/100秒。

 

何かが起こる瞬間 起こった瞬間。

 

それだけが「決定的瞬間」ではない。

 

 

理由は分からないけど、

撮ろう 撮りたい 撮らなくちゃ

 

そう思った瞬間こそが決定的瞬間なのだ。

そうですね?アンリ・カルティエ=ブレッソンさん。

 

私は、その一瞬を自分のものにしたい。

できることなら、永遠のものにしたい。

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自分がこの世を去ったあと、誰かが、私が撮った「一瞬」を見てこう言うかもしれない。

 

「へ〜、こんな時代があったんだね。同じ人ばかり撮ってる。奥さんかな?なんかよく分かんないけど、いい写真だね。」

 

 

 

 

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ZeissとLeitz

実は、写真やカメラに熱中するまで、ペンタックスコンタックスコダックコニカの区別がつかなかった。

 

私だけではないはず。

 

ねっ?そうだよね?

 

うむ、正直でよろしい。

 

そんで、ライカを入手するまで、実は凄く悩んだ。

 

Contax Ⅱa 

超カッコイイ。

 

レンジファインダー機 特有の低い姿勢。

カクカクした男らしいフォルム。

一眼式のファインダー。

前面に誇らしく輝くcontaxの文字。

 

Zeissの歴史は全く知識はなかったが、かのライカよりも渋く思えた。

 

Zeissには失礼だが、Leicaなんか、超メジャーで王道すぎる。Zeissのマイナー感、ライカのライバル、反骨精神。なんだかそんなイメージが物欲を駆り立てた。

 

買うならば、ライカではない。

コンタックスだ。

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超カッコイイ。

 

Zeissのカメラはイコンタしか持っていなかった。

小型のレンジファインダー機を買うなら、同じくZeissのモノだ。

 

俺はZeiss党!

 

と思っていたが…

 

以前の記事でも書いたように、アノ記事が、私にライカ購入を決断させた。

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バルナックライカを買って、すっかり満足してしまった。

あぁ、やっぱり良いカメラだなぁ。

今はエルマー 5cmしか持っていないが、いわゆるLマウントレンズは、M型ライカでも使える。

 

今はLマウントのズマロン35mmが欲しい。VIDOMファインダーも持っているので、バルナックでも使える。

 

そして次に狙うボディはM2である。

 

M3のファインダーは別格らしい。

 

正直、まだ覗いたことはない。

だが、

 

M2も別格。

確信している。

他のどのM型ライカとも違う。

 

小型レンジファインダー機は、ライカさえあればそれでいい。

バルナック型ライカであるⅢaもエルマー のみでも十分だと思える。

50mm以外のレンズでなければ困ることというのは、おそらくほとんどない。

 

中判蛇腹式カメラはイコンタ、しかも6×6さえあればそれでいい。

 

Leitzにはイコンタみたいなカメラを作ることはできなかった。

Zeissは、ライカみたいなカメラを作ることができなかった。

 

なんだかよく分からなくなってきた。

 

という訳で、コンタックスⅡaはいつかは欲しいという話であった。

写真の激しさ

いいね!

 

自己肯定感を高める不思議な言葉である。

誰だって嬉しい。いっぱい欲しい。

いいね!の為に投稿している訳じゃない?そんなのウソだぜ。クールぶってるんじゃないよ、まぁそう熱くならさんな。

 

私は素直に嬉しい。あぁ、自分の写真をいいねと思ってくれる人がいる。俺って、薄々気づいてたけど、もしかしてセンスあるんじゃない?

なんて思える。

 

私は、自分に甘く、人に厳しい。

 

いいねと思わない写真には絶対にいいね!なんて押さない。

 

そんなことしてたら、自分にとって何が良くて何が良くないのか、感覚が麻痺してくる。たかがSNSだが、それだけ現代人の生活に密接に関わっていると思う。

スマホやデジカメの普及で、写真がとても身近な、気軽な存在になった。

写真を撮る楽しさは、今や、一部の趣味人だけのものではなくなった。

とても素晴らしいことだと思う。

その一方で、「写真」という言葉が意味するものは、大きく様変わりしたように思う。ひと昔前は家族や友人や親しい者同士で見て楽しむものだったが、今はどうだ。

インターネット、SNSの普及により、写真は不特定多数、名前も顔も素性も知らない人に見せるものになった。

個人情報漏洩がどーのこーの言っている時代に、自身のプライベートを自ら世間に公表する。子供の写真も載せる。オシャレなカフェでの昼メシまで載せる。

 

誰が興味あんだよオメェの昼メシなんかよ。

 

数年前からよく聞く、見かけるようになった、アウトプット という言葉は嫌いである。

インプット/アウトプット って言葉は、物事を、事物を、写真を、冷静に見すぎている感じがする。

自分自身を冷静に捉えてます みたいな賢ぶりたさが見え隠れする。

「アウトプット」という言葉を使いたいだけ。

そんで、ゆるフワ写真なんか撮って詩的な言葉を添えたりするんだ。

言葉で説明しなけりゃ写真が成立しないのか。それを「表現」と言うのか。「アートだ」とでも言いたいのか。

 

もっと熱くなれ。

 

写真は、もっと激しいものであっていい。暴力的であっていい。

 

 

過激なエロ  グロを撮れと言っているのではない。

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感情的であってもいいという意味である。

 

無論、それぞれ各人の好み、スタイルがある。大いに構わないし、それでいいとも思う。私みたいなシロートがネット上の端っこで言ったところで一瞬で忘れ去られることも分かっている。

 

しかし、

 

アラーキーではないが、

 

 

もう我慢の限界です。

 

 

愛のドス黒モノクロフィルム写真で、ゆるフワにっこり夏サイダーみたいな写真を意味不明墓地に埋めてやりたい。

個性的というジャンルのありふれた写真を、天才という名のレールに乗っけて「ド平凡」という名の谷底に落としてやりたい。