Nettar-イコンタ同盟の夏-
夏。
お盆も過ぎて、風も少し優しくなった。
ああ、夏とのサヨナラが近づいている。
どうやら、平成最後の夏らしい。
昭和から平成を跨いだことがあるが、記憶には残っていない。
「昭和っぽい」「昭和レトロ」なんて言葉が通用する人が少なくなる日も近い。
「平成チック」なんて言葉が生まれるんだろうか。
昭和は、古き良き時代みたいに描かれることが多いが、果たして本当にそうだろうか。
不便で貧乏だけど、輝いていた。
この、娯楽と稀薄と腐敗と破滅の印象のある平成も、いつかそんな風に美化され、ノスタルジックに語られる。
ノスタルジーとは、なんだろう。
郷愁を誘う
古き良き時代
たぶんそんな感覚。
実際に自分が体験していなくても、なぜか懐かしく感じるアレです。
フィルムカメラにしても、まぁ、懐かしい人には懐かしく、今でも使っている人にとっては、まぁ、やはりカメラでしかない。
ライカにいたっては、あまりノスタルジーなんてものは感じない。
その見た目も、現代のカメラの原型と言っても良いので、古いとか昭和っぽい、明治っぽい、なんて感じない。
フォーマットだって一般的な35mmフィルムだ。いや、フィルム自体がたぶん一般的ではないけど。
やっと手に入れることができた、という感慨深さは、僅かにあった。
私がノスタルジーを感じるのは、やはりイコンタだ。
もちろん当時リアルタイムで使っていた訳ではないし、懐かしいなんて感覚もない。
古き良き時代に生まれた過去の遺物という、未知への憧れ。蛇腹カメラ。
とはいっても、当時は戦争の時代であったはず。世界恐慌も1930年代だ、たぶん。
35mmフィルムを使用する小型カメラが普及し、中判カメラは徐々に衰退していく。
1930年代、既に中判カメラは旧時代のカメラになったと推測している。
そんなモノを、コツコツと収集し喜んでいる奴が、2018年、世界中にいる。
80年以上前のモノを。
私が現在所有している中判カメラは、3台。
そのうち2台は壊れている。玄関のオブジェになって、来客を驚かせたり訝しませている。
スーパーシックスは、シャッターも全速切れるし、絞り羽根も綺麗で、問題なく作動する。
もちろん、蛇腹に穴などあいていない。
外に持ち出す機会は少ない。
大体、いつものリビングやキッチンで妻を撮っている。
「そんなので本当に撮れるの?」と、妻は面白がっていたが、現像すると何の問題もなく写っている。いや、写し出している。
「すごいねー!すごいよ!」
妻は珍しく興奮気味。感動していた。
フィルムカメラで一枚一枚、丁寧にジックリ撮る、というスタンスが、若者にとっては新鮮で、ノスタルジーを感じさせているのだと思う。
私は、現在は35mmフィルムで一枚一枚を、という感覚は小さくなった。
むしろ逆で、丁寧に撮らないことを無意識のうちに意識している。
極端な斜め構図や手ブレや、なんだか観念めいた被写体、意味ありげな、なぞなぞ写真は撮らないように気をつけている。
ストリートスナップも撮らない。
残念ながら若い女はみんな、マスクを付けているしスマホをいじっている。
無意識、無防備、無表情を撮ることに、喜びはほとんど感じない。
中判のイコンタでは、最低限の丁寧さをもってジックリ撮る。
とりあえずピントはちゃんと合わせる。手ブレに気をつける。
スーパーシックスは11枚しか撮れないので、出来ることなら失敗はしたくない。
日本でも60年代、中判カメラ及び蛇腹カメラが流行したらしい。
東京オリンピックでニコンFが一眼レフカメラの優位性を世界中に示した余韻が残っていたはずだし35mmフィルムもかなり普及していたと思われるが。恐らく高価なモノであったんだろう。
中判フィルムを使用する蛇腹カメラや国産二眼レフカメラは、庶民の味方だったようだ。
もっと気軽に中判で撮りたい。
ふらっと散歩に持っていきたいが、スーパーシックスはどうも違うような気がする。
もうひとつ中判カメラが欲しい。
そう思っていた。
見た目がかわいい二眼レフカメラでもいいけど、どうせ安い国産メーカーのものを買っても、必ずローライフレックスが欲しくなる。
やっぱり軽くてコンパクトな蛇腹カメラしかないと思い、ヤフーオークションを物色していた。
小西六のパールや
マミヤシックスや
フォクトレンダーのものや
コダックのレチナなど、
値段は別にすれば、選び放題だ。
国内外メーカー問わず、こんなにも蛇腹カメラがあったのかと驚く。
イコンタは流石に高値で、思いつきで買うには勇気がいる。(イコンタ同盟 なのに)
落札したのは、ZEISS IKON 515
どうやらセミイコンタの廉価版らしい。
Nettar Anastigmat
グーグルで調べてみると、16枚撮れるらしい。
これは良さそうだぞー!