装填準備
5cm F2
Summitar
俺にとって二つめのLeitzのレンズ
このレンズのスペックや描写性能の情報は、ネットでいくらでも得られる。
どのサイトもどのブログにも、同じ言葉で同じ口調で違う文体で語られている。
Elmarとの違いを検証していくつもりはない。
明るいレンズが欲しかった。
バルナックライカⅢaも売ってカネにするつもりだったのだが。
レンズが欲しくなってきた。もう少し明るいものを。
やっぱりやめた。
右手や左手や両手に持って、巻き戻したりファインダーを覗いたり、シャッターを切ったりして、改めてこのカメラの優しくてコンパクトで丸い手触りに関心する。あぁ、これは手離すことができないな、と感じた。
Ⅲaは手元に残そう。
インスタで親しくさせて頂いている方とメッセージのやりとりをする。
主に、レンズや写真についての話が中心である。
SummicronかSummitarの購入を迷っている俺に、どちらかを激推しする訳でも、否定的な意見を言う訳でもない。
淡々としているけれど、いつも冷静な優しい言葉をくれる。
「ライカはやはり奇跡を生むカメラだ」
「欲しいものはまず買って試すのがいい」
「購入はあわてなくてもいい」
「バルナック、まだ売らなくてもいいかも」
話の流れから、その方が撮った写真を見せてくれた。
数年前に星になった愛犬の写真。
とても良い写真だった。
愛犬の表情に、主人との信頼関係があらわれている。
写真には幸せが溢れていた。愛を感じた。
とても素晴らしいものを見せてもらった。
「これは最高傑作。一生これは超えられない。でもそれでいい」
本当に、良い写真だった。
ありがとう。
がんばろう。俺も、いつかそんな写真を。
うまい写真は数あれど、それが良い写真かどうかはまた別の話である。
その逆もまた然り。
ましてや、上手い、良いというのは人によってかなり感覚の差があるものだ。
何かの賞を取った作品が、自分にとって必ずしも良い写真とは限らず、
いや、正直に言うと、何を撮ったのか何が良いのかサッパリ分からないものばかりだ。そんなものばかりだ。
なにもかもに嫌気がさしている。
良い写真を見せてもらって刺激と希望を貰った俺は今、何かを誰かを撮りたくて撮りたくてウズウズしている。
新たなレンズと何度目かの思春期と初期衝動。
フィルムを装填しよう。