霧の国から
納車から1ヶ月経ち、走行距離も1000kmを超えた。
仕事に追われ、休日は仕事に犯され、食卓ですら仕事に汚された1ヶ月であった。
クソ。
もっと意欲的に効率的に仕事に向かえる脳ミソが欲しい、と一瞬だけ、少しだけ思った。
ほんの少しだけ。
ハッキリ言って人生や仕事なんて舐めている。
どーにかなる精神で生きている人間にとって、他人からの情熱感染対策は万全である。
人間なので心が動くときもあるが、大体いつもシラけている。
給料安いのに、そんなに頑張れませんよ。
何年生きても、何度泣いても、何度叫んでも、暴飲暴食しても、1000km走っても、どこまでも俺は俺だ。
開き直りではない。事実だ。
いや、それを開き直りと言うんだ、というのならば、あぁそうですね、ハイ。
「ゆとり世代」なんて言葉があるが、ヒトってのは、自分には理解できないものを見て混乱し、どうにか処理、整理しようとして名前をつけてカテゴライズするのが好きだし得意だ。
大いに結構であるし、かく言う俺もそうだ。
人間ね、結局みーんな同じさ。
なんだか自暴自棄ないじけた文字ばかりになったが、いじけちゃなんかない。
楽しいことしか考えない。
最初の車検を終えたらタイヤはデカイの履こうかしら。
ジムニーならどこへでも行ける、というか、そんな気になってしまうよね。
どこへでも行きたくなる。遠くへ行きたい。
完全なるオフローダーだけど、舗装路もとても気持ちいい。ほんとに。
よく「軽自動車とは思えない」なんて形容されるけど、ほんと。
一番感じるのは
とてつもなく頑丈な乗り物だ、ということ。
実は小さめのフロントガラスや高い目線、長めのボンネットは、軍用車といえば大袈裟な例えだが、なんだか特別なクルマに乗っている気分になる。
ラダーフレームがどうこうとかあるけど、まぁ専門家でないので語れない。
舗装路の凸凹も、プルルンっといなしてくれる。
衝撃を感じない。
高級車の乗り心地がどうだか知らないが、たぶんこんな感じだろうか。
強靭なフレームと柔らかな脚。
ひとつのクルマに、矛盾するふたつの感覚が同居している。
釣り人には忍耐が必要である。
何時間も何日も何ヶ月も釣れないときがある。
忍耐、忍耐、また忍耐。
魚釣りとは忍耐の連続である。
しかし、その時は突然やってくる。
魚が食いついた。
アワセは一瞬。セッカチでなければならない。
これを絶対矛盾的自己同一という。
ふたつの矛盾する事実が、ひとりの釣り人の中に同居している。
これは西田幾多郎の言葉である。
というのを開高健が言っていた。
アワセは、電光石火の居合抜き。
魚を手元に手繰り寄せるまでの数十秒か数分間。
記憶には残る。
しかし、あの感覚で全身を震わすことは、その時にしか出来ない。
フックを魚から外してやり、バイバイ、またなと言って河へ帰してやる。
魚は振り向きはしないが、一瞬だけそこにとどまり、何か言いたそうな肩を見せ、嘆きの言葉も吐かず、当然、礼なんぞ言う訳もなく、水をひらりと蹴ってどこかへ消えていく。
ああ、釣り行きたい。
普通の道を普通に走っているだけなのに、楽しい。
こんなクルマがあるのね、世の中には。
すぐに撮れるように!とかではない。
大事でしょ、雰囲気って。
頑丈なクルマと頑丈なカメラ。えーやろ。
妻も、「ジムニーカッコイイね〜、ロイちゃん!」と絶賛。
すんません、世界一かっこいいクルマに乗ってます。
これはSJ30
牽引ロープも欲しいし、デフガードも付けたい。タイヤもいつかオールテレーンかマッドテレーンにしたい。
おい、カメラはどうしたんだよ!?って自分でもツッコミたくなるが、まぁヨロシイじゃござーせんか。
一極集中。
(使い方合ってるか知らん)
M型ライカは欲しいさね。ずっと。
ホントはスタッドレスタイヤに充てるカネをライカに回したいくらいだ。
先日、職場のJB23乗りのお姉さんとドライブしてきたが、JB23ってカワイイ。惚れ直した。
JB64がアホみたいに絶賛されてアホみたいに受注されてアホみたいにインスタ投稿されて、やっぱりアホみたいにステッカー貼られて、やっぱりどいつもこいつもノースフェイスとパタゴニアばっかりでアホみたいで、結局やっぱりどいつもこいつもノースフェイスとパタゴニアばっかりでたまにチャムスでアホなんだが、JB23も超一級品のオフローダーである。
やっぱ最高にかっこいい。
妻を隣に乗せて、ちょっとした凸凹道を縦に横に揺られてキャーキャー言いながら走る。
妻よ、ありがとう。
俺はしあわせもんです。