Closing time
人間という生き物は、機械やモノに対して愛着や愛情や友情を抱くことがしばしばある。
これが何故かは分からないけれど、いつも身につけているモノや長い時間を共に過ごしたモノには、特にそうであるようだ。
もうすぐ納車だ、新型車だと浮かれている私だが、只々はしゃいでいるだけではいられないようだ。
日に日に近づいて来る納車日とはつまり、日に日に現在の愛車との別れが近づいていることを意味する。
現在、35歳。普通免許を取得したのは32歳の夏だった。何故そんなに歳をとってからなのかというと、色々な事情があるのだが、一番の理由は金がなかったからである。
金もなく、ひねくれて生きていたから、こうなったら一生免許なんか取るものかと思っていた。しかし、人生とは何が起こるか分からないもので、渋々教習所に通うことになった。
カミさん命令です。
オートマ限定。
運転できりゃ何でもいいのよ。
そして、人生で初めて買ったクルマは、ミラジーノ。
単純にデザインが好きだった。ローバーミニのパクリと言われるが、こういう普遍的なデザインについてはパクリもクソもないと思う。
クラシックカーモチーフだが、中身は至って普通の軽自動車だ。
購入した時点で10万キロ超え。
3年間乗った。
運転に慣れるために、近所を何周も回った。
カミさんの実家にも何度もジーノで行った。
京都、高知間を往復もした。
左フロントバンパーも擦った。
夫婦でケンカしてずっと無口で運転したこともある。
色んな場所をドライブした。色んなお店にも行った。このクルマに、運転を教えてもらった。初めての雪道の運転は楽しかった。運転が好きになった。
たくさん音楽も聴いた。
滋賀に思いつきで旅行に行って、ラブホテルにも泊まった。
泣いている妻に気づかないふりをして運転したこともある。
シートには煙草の焦げ跡もできた。
35万円で買った中古の軽自動車。
口にした瞬間にチープな表現になるが、カネで買えない価値って、こういうことを言うんだなぁ、きっと。
妻とのんびりドライブするとき、たまにかけていたアルバムがある。妻もお気に入り。
Tom WaitsのClosing timeというアルバム。
中でも1曲目のOl’55という曲。これが良い。
今日は久しぶりこの曲を聴きながら、一人でドライブした。
なんだか、色んなことを思い出して涙が出た。
たしか、日本語訳はこんな歌詞だったと思う。
Ol'55
デートはあっという間に終わり、彼女を家まで送った。55年製のオンボロ車でフリーウエイをとろとろ走って帰路に着く。トラックが追い越していく。気づけばもう明け方。太陽が昇りはじめ、星は消えかかっている。