危機の存在
7月7日、織姫と彦星は出会えただろうか。
大雨が続いたが、雲の上では関係のないことだろうか。
避難指示が出たため、カミさんの実家に避難した。
が、その地域にも避難指示が出た。
はて。
近所の小学校や自治会館に避難した人達は、それほど多くなかったらしい。
こういうとき、危険が近くに迫っているのに逃げないという選択をする人がいるというのは、一体どういうことだろう。
真っ先に逃げ出して大袈裟だ、と、なんだか恥ずかしい気がしたり
近所の人がまだ逃げてないから大丈夫だろうとか
なんだか妙に冷静に考えて、行動を遅らせたり
ってことなんだろうと思う。
近所の川はかなり増水していた。
ダムも一時間毎に放流していた。
雨も降り続けていた。
どう冷静に考えても、逃げるべきだと思った。
こんな非常事態の中では、正直言って何でも、どうでもよくなる。
一応、カメラと写真は二階の部屋に移動したが、本当ならば一緒に連れて逃げるべきだったろうか。
幸い、家は無事だったから、お〜カメラが無事で良かったと思っているが、
もし家が流されたり浸水したり倒壊したら
それでもカメラや写真のことを悔やむだろうか
自分が死んだら、カミさんは、私のカメラをどうするだろうか。
大事なカタミだ と言って大事にしてくれるだろうか
又は
カメラや写真のことを勉強して、撮り始めるだろうか。
カタミがあるせいで私の存在を思い出してつらくなるだろうか。
何はともあれ、私も妻も家もカメラも無事だ。
何気なくない非日常があって初めて、何気ない日常の存在に気付く。
できればずっと、日常の尊さに気付けないくらい平和が続けばいい。
これからも変わらず、のんびりと撮っていきたい。