フィルム
久しぶりに2本現像した。
フィルムの巻き取りに少々手こずってしまった。
今日はRollei RETRO400SとFOMAPAN400
RETRO400Sはフィルムが柔らかくてクネクネしてとてもやりづらかった。
FOMAPAN400の方は、いつも通り。とは言っても初心者の私にしては上出来。
いつも数コマを失敗してしまう。
今日は2コマの損失だけで済んだ。
この損失は、二度と取り戻せない。永久に。すごく悲しい。
なーんて言いつつ、喜んでいる。
少しずつでも、上達していると実感するのは嬉しいことだ。自信にも繋がる。
現像方法は、基本に忠実にやっている。
増感とか減感とかあるらしいが、何のことだか実はよく分かっていない。
温度管理も、ソコソコに。
現像液が、ほんの少し足りなかったら、水を入れてみたりしている。
それでも現像はできてしまうんだから、化学なんていい加減なもんである。
はっはっはっはー!
なぜモノクロフィルムなのか。
それは単純に、モノクロ写真はカッコイイから、美しいからである。
モノクロで撮り始めて、芸術的表現だとか、最初はそんなことを意識して撮っていたのだが。
自分で撮った写真を見ても、こういう写真、なんだかどこかで見たことあるような…
ネット上に掲載してあるモノクロの作例を見てもそうだ。
どれもこれも同じ写真だな。雰囲気はあるけど、雰囲気があるだけ。自分も同じような写真だ。
熱が冷めた。急に恥ずかしくなった。
自称・表現者達は、何を撮ったのかよく分からない写真や、自分とは全く無関係な人間を撮って意味深なタイトルをつけることが、芸術とか表現ということになるとでも思っているのだろうか。
カラーで、ハイ、チーズ!と笑いながら家族写真を撮っているパパと自分とでは、違うとでも思い上がっているのだろうか。
アラーキーの受け売りだ。
写真なんて、芸術でも表現でもないと思う。
芸術や表現者は被写体の方である。
撮影者はそれを、パチリ と複写するだけだ。少なくとも、私はそう思う。それでいいと思っている。
それからというもの、家族をたくさん撮るようになった。みんないい顔するんだよなぁ。最高の被写体がこんなに近くにいる。
iPhoneでパチリ
美術をかじったことがある、いつもふざけてばかりいる姉が言っていた。
モノクロ写真は、鉛筆のデッサンに似てるよね。真っ白な紙に、黒い鉛筆で描いていく気持ち良さったらないよ。
写真家は被写体を写すけど、私達みたいな芸術かぶれは、モデルさんがいたり自分のイメージを紙に描くよね。アウトプットっていうの?でも、撮ったもの、描き出されたものの中には、たぶん自分が投影されてる。そういう意味では、もしかしたら両方とも表現者、なのかもね。たぶん。色彩を一切排した、白と黒、光と影の間、制限された世界の中にこそ、無限の可能性があると思うんだぁ。へへへ。