イコンタ同盟

This is love.

イコンタ同盟の冬

 

インフルエンザが猛威を奮っている。

そんなもんに感染してる場合じゃない。

 

イカとイコンタは、まったく違う趣きのカメラだが、どちらも好きだ。

イカの機動力は素晴らしいし、イコンタは写真行為をしている気にさせる。

 

イカのピント合わせはもちろん手動だが、どんなに時間がかかっても1秒以内である。そもそも、ピント合わせなんぞほとんどしていないので、最新鋭のデジイチよりも速い。

 

ジムニーにFを積んでいる。

ドライブそのものが目的であるため、写真を撮ろうという気が起こらない。

 

しかしながら、写真ってやつはイイもんだ。

 

先日、親しくしている職場の女性の娘さんが成人を迎えた。

 

同僚の愛車ジムニーをバックに、着物姿の娘の写真画像を送ってくれた。

とても良い写真だった。

愛を感じた。

 

 

レンズのキレがどーのこーの

シリアルナンバーがどーのこーの

センサーサイズがごにゃごにゃ

 

そんな玄人フォトグラファーどもには、こんな素晴らしい、美しい写真は一生撮れない。

 

愛する娘の晴れ姿をiPhoneで撮る母に勝てる訳がないのだ。

 

 

ご挨拶

 

明けましておめでとうございます。

 

ワタクシ、年男でございます。

イノシシです。猪突猛進、と言いたいところではございますが、なにせ、35歳です。はて、どうしたものか。 

 

ふと、何やら新しい何かを始めたい感覚にさいなまれ、ギラギラとメラメラと心の奥底でうごめく初期衝動に気づいてキラキラとざわめいておりますが、それが一体何なのか。ワタクシ自身にも分からない、そんな新年を迎えております。

 

それは写真なのか、音楽なのか、はたまた性欲なのか、いくら考えても感じようとしても分からない。

このざわめきと煌めきに気づいてしまった以上、知らぬフリをするのは困難であります。

 

ただただ、淡々と、単々と過ぎていく毎日を過ごしていくしか成す術がないので、やはり、ゆるりと初期衝動が爆発する日を他力本願若しくは起爆装置を自発的に押すキッカケを待つだけなのです。

 

すべてのウソを寛容に受け入れられるような冷たい目を持ち、それでいて、煮えたぎるような感情を写真や何かどこかにぶつけ、ごく一部でもいい、衝撃や賛同や賞賛を得たいと思っている幼稚とも言える誰しも抱える本音をここにさらしたい。

 

己の小ささに気づかぬフリをしつつ、他人の愚かさを批判して一喜一憂するのだ。こんな日々が続いていくのは、きっと   ラク  なのだろう。そんな性格や生活と決別するのは無理だと決めつけているし、諦めている。そのクセ、希望は消えない。

 

思慮深くなっている訳でも、達観しているつもりもない。もちろん病んでもいない。

 

 

かといって、冷静でいられる訳もない。

 

俺の血。

傷を作れば温かい、赤い、熱い血がにじむ。

 

その血を、誰かに見せたい。

 

そんな衝動。

 

おそらく、あなたもそうだろう?

 

ちょっと飲みすぎたな。

 

霧の国から

納車から1ヶ月経ち、走行距離も1000kmを超えた。

 

仕事に追われ、休日は仕事に犯され、食卓ですら仕事に汚された1ヶ月であった。

 

クソ。

 

もっと意欲的に効率的に仕事に向かえる脳ミソが欲しい、と一瞬だけ、少しだけ思った。

ほんの少しだけ。

 

 

ハッキリ言って人生や仕事なんて舐めている。

 

どーにかなる精神で生きている人間にとって、他人からの情熱感染対策は万全である。

 

人間なので心が動くときもあるが、大体いつもシラけている。

 

給料安いのに、そんなに頑張れませんよ。

 

何年生きても、何度泣いても、何度叫んでも、暴飲暴食しても、1000km走っても、どこまでも俺は俺だ。

 

開き直りではない。事実だ。

 

いや、それを開き直りと言うんだ、というのならば、あぁそうですね、ハイ。

 

ゆとり世代」なんて言葉があるが、ヒトってのは、自分には理解できないものを見て混乱し、どうにか処理、整理しようとして名前をつけてカテゴライズするのが好きだし得意だ。

 

大いに結構であるし、かく言う俺もそうだ。

 

人間ね、結局みーんな同じさ。

 

なんだか自暴自棄ないじけた文字ばかりになったが、いじけちゃなんかない。

 

楽しいことしか考えない。

 

最初の車検を終えたらタイヤはデカイの履こうかしら。

ジムニーならどこへでも行ける、というか、そんな気になってしまうよね。

どこへでも行きたくなる。遠くへ行きたい。

完全なるオフローダーだけど、舗装路もとても気持ちいい。ほんとに。

 

よく「軽自動車とは思えない」なんて形容されるけど、ほんと。

 

一番感じるのは

とてつもなく頑丈な乗り物だ、ということ。

実は小さめのフロントガラスや高い目線、長めのボンネットは、軍用車といえば大袈裟な例えだが、なんだか特別なクルマに乗っている気分になる。

ラダーフレームがどうこうとかあるけど、まぁ専門家でないので語れない。

 

舗装路の凸凹も、プルルンっといなしてくれる。

衝撃を感じない。

高級車の乗り心地がどうだか知らないが、たぶんこんな感じだろうか。

 

強靭なフレームと柔らかな脚。

ひとつのクルマに、矛盾するふたつの感覚が同居している。

 

釣り人には忍耐が必要である。

何時間も何日も何ヶ月も釣れないときがある。

忍耐、忍耐、また忍耐。

魚釣りとは忍耐の連続である。

 

しかし、その時は突然やってくる。

魚が食いついた。

 

アワセは一瞬。セッカチでなければならない。

 

これを絶対矛盾的自己同一という。

 

 

ふたつの矛盾する事実が、ひとりの釣り人の中に同居している。

 

これは西田幾多郎の言葉である。

というのを開高健が言っていた。

 

 

アワセは、電光石火の居合抜き。

 

 

魚を手元に手繰り寄せるまでの数十秒か数分間。

 

 

記憶には残る。

しかし、あの感覚で全身を震わすことは、その時にしか出来ない。

 

 

 

 

フックを魚から外してやり、バイバイ、またなと言って河へ帰してやる。

魚は振り向きはしないが、一瞬だけそこにとどまり、何か言いたそうな肩を見せ、嘆きの言葉も吐かず、当然、礼なんぞ言う訳もなく、水をひらりと蹴ってどこかへ消えていく。

 

 

ああ、釣り行きたい。

 

 

普通の道を普通に走っているだけなのに、楽しい。

こんなクルマがあるのね、世の中には。

 

ジムニーにはニコンFを常に乗せている。

 

すぐに撮れるように!とかではない。

大事でしょ、雰囲気って。

頑丈なクルマと頑丈なカメラ。えーやろ。

 

妻も、「ジムニーカッコイイね〜、ロイちゃん!」と絶賛。

すんません、世界一かっこいいクルマに乗ってます。

 

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これはSJ30

 

 

牽引ロープも欲しいし、デフガードも付けたい。タイヤもいつかオールテレーンかマッドテレーンにしたい。

 

おい、カメラはどうしたんだよ!?って自分でもツッコミたくなるが、まぁヨロシイじゃござーせんか。

 

一極集中。

(使い方合ってるか知らん)

 

M型ライカは欲しいさね。ずっと。

 

ホントはスタッドレスタイヤに充てるカネをライカに回したいくらいだ。

 

先日、職場のJB23乗りのお姉さんとドライブしてきたが、JB23ってカワイイ。惚れ直した。

 

JB64がアホみたいに絶賛されてアホみたいに受注されてアホみたいにインスタ投稿されて、やっぱりアホみたいにステッカー貼られて、やっぱりどいつもこいつもノースフェイスとパタゴニアばっかりでアホみたいで、結局やっぱりどいつもこいつもノースフェイスとパタゴニアばっかりでたまにチャムスでアホなんだが、JB23も超一級品のオフローダーである。

やっぱ最高にかっこいい。

 

 

妻を隣に乗せて、ちょっとした凸凹道を縦に横に揺られてキャーキャー言いながら走る。

 

妻よ、ありがとう。

俺はしあわせもんです。

 

エルマーと夜

 

イカで撮った夜。

 

久しぶりに夜の街へ。

 

ジャパニーズとモンゴリアンとアザーズ

 

街でフィルムを3本調達して。

 

 

正直に言うと、あまり自信がない。

 

あの暗がりで、一体何が撮れたのか。

スローシャッターは調子が悪く、1/4以下は切れなかった。

 

レンズはエルマー。開放f値3.5だ。

明るいものは明るく。

暗いところは、暗く写っているはずだ。

 

所詮はド素人の精神論に過ぎない。

 

どれだけシャープに写っているか。

構図に面白みがあるか、なんてどうでも良い。

 

何が写っているか。何を撮ったのかが重要だと、ずっと、思っている。

 

そこに俺がいて

 

いや違う。

 

そこにいて、シャッターを切った人間がいるという事実は、俺の指と眼球が覚えている。

 

撮った俺が良いと思えるものが撮れていなければ、そうでなけりゃ写真なんぞ。

 

 

合計108枚。

 

 

 

 

Closing time

人間という生き物は、機械やモノに対して愛着や愛情や友情を抱くことがしばしばある。

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これが何故かは分からないけれど、いつも身につけているモノや長い時間を共に過ごしたモノには、特にそうであるようだ。

 

もうすぐ納車だ、新型車だと浮かれている私だが、只々はしゃいでいるだけではいられないようだ。

 

日に日に近づいて来る納車日とはつまり、日に日に現在の愛車との別れが近づいていることを意味する。

 

現在、35歳。普通免許を取得したのは32歳の夏だった。何故そんなに歳をとってからなのかというと、色々な事情があるのだが、一番の理由は金がなかったからである。

 

金もなく、ひねくれて生きていたから、こうなったら一生免許なんか取るものかと思っていた。しかし、人生とは何が起こるか分からないもので、渋々教習所に通うことになった。

 

カミさん命令です。

 

オートマ限定。

運転できりゃ何でもいいのよ。

 

そして、人生で初めて買ったクルマは、ミラジーノ

単純にデザインが好きだった。ローバーミニのパクリと言われるが、こういう普遍的なデザインについてはパクリもクソもないと思う。

クラシックカーモチーフだが、中身は至って普通の軽自動車だ。

購入した時点で10万キロ超え。

 

 

3年間乗った。

 

ジーノを納車した日は嬉しくてスマホで記念撮影した。

運転に慣れるために、近所を何周も回った。

カミさんの実家にも何度もジーノで行った。

京都、高知間を往復もした。

左フロントバンパーも擦った。

夫婦でケンカしてずっと無口で運転したこともある。

色んな場所をドライブした。色んなお店にも行った。このクルマに、運転を教えてもらった。初めての雪道の運転は楽しかった。運転が好きになった。

たくさん音楽も聴いた。

滋賀に思いつきで旅行に行って、ラブホテルにも泊まった。

泣いている妻に気づかないふりをして運転したこともある。

シートには煙草の焦げ跡もできた。

 

35万円で買った中古の軽自動車。

口にした瞬間にチープな表現になるが、カネで買えない価値って、こういうことを言うんだなぁ、きっと。

 

妻とのんびりドライブするとき、たまにかけていたアルバムがある。妻もお気に入り。

Tom WaitsのClosing timeというアルバム。

中でも1曲目のOl’55という曲。これが良い。

 

 

今日は久しぶりこの曲を聴きながら、一人でドライブした。

 

なんだか、色んなことを思い出して涙が出た。

 

 

たしか、日本語訳はこんな歌詞だったと思う。

 

Ol'55

デートはあっという間に終わり、彼女を家まで送った。55年製のオンボロ車でフリーウエイをとろとろ走って帰路に着く。トラックが追い越していく。気づけばもう明け方。太陽が昇りはじめ、星は消えかかっている。

 

 

 

 

Important

このブログのタイトルを「ジムニー同盟」にした方が良いのかも知れない。

 

うそ

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ディーラーからやっと連絡があった。

「11月のアタマには納車できます」

「ロイ様のジムニーは、10月末あたりに生産されます」

 

ほんとか?おい、ぬか喜びに終わらせんじゃねーぞ、期待しないでワクワクしながら待ってやんよ。

 

ということで、おそらく遅くとも11月中頃には晴れてジムニーオーナーとなっているだろう。

 

長い4ヶ月間だった。

 

待っている間が一番楽しい、なんて嘘よ。

 

そんなこと言う奴ぁ、一生納車されなきゃ一生楽しいのか?あ?おい。

 

契約から3ヶ月経った時点でイライラはピーク。

俺は気が短いんだ。

それ以降は、年内納車はムリなんだと自分に言い聞かせ、平静を保つことにした。

インポになりそう。

僧侶か神父になれそうな勢いだ。

 

スマホを触れば情報検索。

出てくるのは、ジムニー1年待ち!?の記事ばかり。インポになりそう。

 

youtubeの試乗動画はどれもこれも似たようなもんばかりで、見飽きたインポになりそう。

 

JB23乗りVS JB64待ち

 

23のデザインが糞ダサいと言えば

64のデザインだけで買うニワカだと反撃

 

どっちも真実やからしゃーなインポになりそう。

 

 

バリバリに改造した23乗りの、どノーマル64へのヒガミがひどそうンポになりそう。

 

 

9月中頃に楽天で買ったサイのスペアタイヤカバーが和室に広げたまま放置ンポになりそう。

 

そしてやっと前述のディーラーからの連絡。

 

インポ回避。

 

俺は優越感に浸りながら、下位グレード軽自動車で、この片田舎を悠々として流すのだ。

 

 

 

病んだ状態が普通の現代人には、なにが心の拠り所であろうか。

カネ、服、クルマ、女、いいね!の数?

 

金があれば大体のことは解決できる。

命に関しては、金を積んでもどうにもならない場合はあるが。

スケールのデカい話は胡散臭いので、しない。

広義で物事を包むのは簡単だが、大体は綺麗事で終わり、あやふやで崇高でいて幼稚な言葉を使わざるを得ないことになる。

 

好きな服や音楽や食べ物、好きな人、好きな場所、好きな車、好きなカメラ、好きな煙草。

 

これだけ好きなモノに囲まれているのに、なぜ人は、少なくとも、なぜ自分は満たされている、幸せだと素直に言えんのか。ワガママなんだろうな。

 

 

こんなセリフを思い出した。

 

「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」

 

アンナ・カレーニナトルストイ

 

自信なかったのでコピペ

人間図鑑

 

以前、インスタでサラッと告知した11月のイベントに向けて準備をすすめている。

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準備、といっても何かカメラやレンズを買い足したり、フィルムを爆買いしている訳ではない。

 

イメージトレーニングだ。

 

 

 

カメラは、何を使うか。何で撮るか。

 

これは、写真を撮られる側や写真を見る側にとっては、ほとんどどうでもいいことではある。

 

だが、写真を撮る側にとってはとても重要な事柄だと思っている。

 

俺は、ロマンチストであるから、イコンタかライカとエルマーで撮りたい。

 

しかし、今回は、人様に依頼された撮影である。

ロマンだけでシャッターを切って、ろくにまともな写真が撮れなかったらどうなる。

 

これだけ写真とは何か、を散々語っておいて、できた写真はソレかよ!その程度かよ!

では話にならん。

 

期待してくれている依頼者に、期待以上の写真を見せるのが、最低ラインだと思っている。

 

てことで、まともな思考で普通に選ぶとすれば、ニコンFである。

レンズだってf1.4のNikkorがある。135mmだってある。なんならズームレンズを買い足してもいい。

今までFにトラブルはないし、頑丈そのものである。一番信頼できるカメラだと言っていい。

 

実用一点張り。質実剛健

 

しかしだね。

 

重いしデカイ。シャッター音は大きい。(一眼レフカメラの中では静かな方だとは思う)

 

そう考えると、やはり出番はない。

 

ここでようやく出番が来たのは

 

コニカSⅡ

 

レンズシャッターHEXANON48mm f2.0のレンジファインダーカメラ。

見た目は、不細工だ。

レンジファインダーカメラとしては大柄だが、シャッター音は小さい。

ファインダーはとても見やすく、ブライトフレームもクッキリ見える。

 

撮られる側からしたら、

そんなので撮るの…?なんて思われそう。

 

なんだろ。

一眼レフってカメラに興味ない人からも、やっぱり認知度が高くて、これを使っていると撮られる側も安心感が高そうなイメージ。ちゃんとしたカメラ。

デカいシャッター音も、わぁ、一眼レフだ、本格的…なんて言われたことがある。

 

世間のイメージなんて、たぶんそんなもんだろう。実際にFはプロ用一眼レフだしなぁ。

 

撮影の要望としては、

 

フラッシュは使わない

出演者を撮る

 

これだけ。

 

俺はカメラマンではない。

自由にやらせてもらう。

とりあえず出演者はサラッと撮っておいて。  (おい)

会場に集まったお客さんを撮りたい。

夜の群衆を撮りたい。

暇そうに、つまらなさそうに持て余している瞬間の客を撮りたい。

居心地が悪そうに端っこに座って酒を飲む人を撮りたい。

薄暗い便所で立ち話をする人を撮りたい。

なんでもない瞬間を撮りたい。

 

バーカウンターに置いてある飲みかけの洒落たカクテルになんぞ興味はない。

 

人間が写っている写真ほど、強いと感じるのだ。

 

 

撮影者の意図や意思など、写真を見る側には視えない。

視えるのは、複写され平面化された写真だけだ。

 

フィルムかデジタルかなんて、どちらでも良いのである。

 

俺は小さな意図や意思や叫びや祈りや何かを、密かに誰にも気づかれないように写真に忍ばせる。

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